昭和五十一年十二月十五日朝のご理解
松永享四郎
ご理解第三十一節
「信心する者は、木の切り株に腰をおろして休んでも、立つ時には礼を云う心持ちになれよ。」
礼を云う心持ちが心行だと思うですね、心行が出来ておらんと、うっかりしておる、迂闊にしておる、お礼を申し上げると云う、その心が心行です、物だけではない、すべての事柄の上にも、礼をやはり云う心持ちがいる。
昨日は、大分支部の共励会、毎年12月だけは、私がまいります、昨日は、綾部さんところの、絹子さんのお店を、コ-ヒ-店を開店して、もう10日あまりになりましょうか、大変気の利いた店が出来ております、もう、開店以来、毎日満席だそうです。
もう思いのほか売上げも上がっておるそうですが、昨日、私共が行く事になって、時間が丁度判っとりましたから、丁度親先生あたりが見えられる時間に、表に休業の札を張らせて頂こうと思っておったら、お客様が、す-っと退いてしまって、ピッタリ止まってしまった。
こらやもう、札張らんでよか、こんなにお客さんが入って見えない、そして、私共がまいりましたら、ほんの今まで一杯でしたが、そんなに思うとりましたが、親先生がおいでて頂いたら、もう店は一人もお客さんが無くて、私共が、5.6名でしたか、まあ、美味しいコ-ヒ-招ばれておる間、お客が入られない、頂き終わって、なら帰ろうかと云いよる頃から、またどんどん入って来た。
例えば、お客さんが入って来ないと云う事も有り難いとお礼を申し上げる、私共が帰ると表まで出て来てから、本当にお出でて頂いてから、有難うございましたと、そう云う。
一杯が、350円もするコ-ヒ-を、何人でしたかね、7.8名でしたかね、飲み物を招ばれて、ただで出して有り難い、私共が行く前までは、満席であったのが、もう全部お客さんが退いて、親先生が見えるから、本日休業の札を出そうかと思うておるところへ、お客さんが退いてしもうて、そこに、15分の間、ピッタリ今お客さんが帰られたばかりで、まるで、親先生方を迎える様に、店は空になった、それが有り難い。
どうですか、皆さん、お客さんが、もう、また売れた、また売れたと云うて、繁盛しとる時も有難いなら、待っても待ってもお客さんが入って来ないと云う時にも、有難いと云うので、私は、木の切り株に腰を下ろしても、立つ時には、礼を云う心持ちになれよとは、そう云う事だと思うです、ね。
けれども、それこそ、木の切り株に腰を下ろして、一時休ませて頂いても、お礼を云う事を忘れとる、自動車に乗らせて頂いて、ここまで皆さんお参りして来るのにも、お礼を云う事を忘れとる、これでは、云わば如何に心行がなされておらんか、と云う事がわかる。 どう云う訳に私共が行く、コ-ヒ-店に入る、もう見える時間だから、休業のお札を出そうかと云うておるところへ、お客さんが退いてしもうた、有難い。
それは、成るほど大分から、大分のあれは何と云うところだったかね、絹子さんのところ、国東、ああ国東から、日田の方へ見えたお話を頂いて、大体根っからの絹子さんは商売人ですから、したいけれども、神様が許されなかった、もうお話頂いたら、もうそれこそ、一月の間に土地を買う事が出来た、家が出来た、そして、許可が下りた、もう驚くばかり、駐車場なんか、ず-っと一列じゃあるけれども、随分長い駐車場があり、前はまた、広い駐車場があってね、もうそこに、私共があそこを出る頃には、もうそこが一杯になった、駐車場、一寸不思議な事じゃある。
そう云う例えばお都合、お繰り合せを頂いて、この店を開店する事が出来た、おかげを頂いて思う以上の云うならば、売上げが、毎日開店早々から上がっておる、親先生のおかげでとお思うておるから、親先生が見える時には、来て頂いても、腰を掛ける所がない、そりゃ相済まんから、休業札を出そうかと迄、思うた途端に、お客さんがさ-っと水が退いて行く様に退いてしまった。
そして、あそこで、私どんがお茶を頂く15分か20分の間だけ、誰も来なかった、さあ、私は夕食を基山亭に設けてございましたから、そこに行かにゃ時間も遅いですから、早う行かにゃ、向こうが待っとろうと云うて立ち上がる頃には、また、どんどん、そして、表の駐車場には、ず-っと一杯になる位に入って来るんですから、そう云うお繰り合わせを頂いとる。
親先生一行が、7.8名の者が、350円の物をただで出して、然も親先生が見える前には、店が空になって、その事が有難いと云うのは、どう云う事でしょうか、所謂、神様のおかげで、親先生のおかげで、と思うからお礼が云えれるのでしょう。
例えば、お商売をさして頂いとってもそうです、ああ、親先生のおかげで、親先生のおかげでとこう云うが、なら、売れた時だけが、親先生のおかげじゃない、売れずに閑散としとる時にもです、お願いをして、あっての事だから、やはり、お礼を申し上げる、そう云う心が、云うならば、木の切り株に腰を下ろしても、立つ時には礼を云う心持ちになれよ、ね。
立っておる時に誰かが、椅子を持って来て呉れた、その時には、ああ、どうも済みません、有難うございましたと、こうお礼を云う、木の切り株だったら、お礼は云わん、それでは、云うなら信心する者はと、とある、信心する者はどう云う場合であっても、お礼の云えれる心の状態を、いつも作っておらねばならんと云う事である。
昨日は、一昨日の13日会に、福岡の清松さん達、熱心に参って見える方がございますね、丁度、ある教会の、もう、永い信心をなさっとられて、ご本部へ毎月、月参りをされると云う位ですから、大変熱心な信心を夫婦で、もう、お父さんの代からですから、清松さんは、もう三代の信心です、そのお父さんも、もう70近い老夫婦が参って見えた。
娘さんが京都で手術をなさる、と云うので参って見えた訳です、それ迄に清松さんが、兎に角一遍、合楽に参ってみなさいと云うたら、もうそれこそ、もう何か汚らわしい所に行くばしのごと、剣もほろろで、断わられた、断わっておられた、それが、参って見えた、見知らぬ夫婦の方が、見えたと思うとったら、その方達であった。
丁度、13日会で、いろんなご用が、皆さんここでやっておりました、そして、夫婦でここへ見えられて、一言二言お届けをしておられたが、、感動して言葉が出ない位であった、ああ、清松さんのお父さんですか、お母さんですか、と。
そして、朝のご理解を頂かれて、そして、13日会にも残って行かれた、もう兎に角、これは清松さんの言葉を借りるとです、もう家の頑固爺さんが、本当にお参りをしたと云う事だけでも有難いが、帰りにはね、お前のおかげで合楽が判ったと、これから、ご本部参拝の月参りは、合楽にさせて頂くと云うて、感動されたと云う事です。
もうそりゃとても頑固な事、頑固な事、その頑固爺に、頑固娘ばいのと、云うた事でしたけれども、人間が喜びで一杯の時には、それこそ、今までかつて頭を下げた事のない人にでも、頭を下げねばおれない、帰りには、そしたら、そのお届けが済んだらすぐ、川上さんが見えられた。
川上さんが、昨日は丁度、福岡から日参りを初めて、昨日がまる3年に当たった、3年のそれこそ、お礼のお届けが、もうそれこそ、手厚うお届けがございましたが、その後に直ぐ云われる事が、昨日先生おかげを頂きました、清松さんも一緒でしたが、あちらのご両親も一緒でした、バス電車でず-っと一緒でしたが、もうそれこそ、私は親の代からの信心で、日本中の偉い先生の話と云う話はもう皆聞いた、もう教会にも、大抵大きな教会にも全部お参りさせて頂いた、けれども、合楽に参っての感動はもう、只事ではない感動でした、と云うてまあ川上さんに話されたと云う事です、ね。
お互いが信心をさせて頂いて云わば、感動が起こる程しの時には、それこそ、娘にでも頭が下げられる、第一ご夫婦が物云うた事がない相です、一緒に参って来とって、それに帰りには、電車の中で、おかげを頂いた話を、2人で一生懸命しておられるのを見てから、清松さんが関心してしまったと、清松さんが云うて、お届けをしとられます。
だから、結局、私共の心の中にいつも、有難いと云うものを、頂ける稽古を本気でしておかねばならん、同時に合楽には、そう云う有難いものが、あると云う事、頂こうと思えば、そんな所には参らんと、まあ云うとられたお父さんが、お参りして見えて、話は判らないけれども、そこに有難い心が起こっておる、そう云う時にはそれこそ、娘にでも、お礼が云いたい心持ち、だから、本当にすべての事に、お礼が云えれる心とは、本当は昨日から頂きます様に、信心しとれば、1年1年有難うなって来ると云う、この道、この行き方で行けば、間違いなく有難くなれると云う信心をせなければならないと云う事であります。
お礼を云わねばならんから、お礼を云うのではなくて、自ずと頭が下がる、親先生が見える15分か20分の間は、今まで一杯満席であった、お客さんが丁度退いてしもうて、そこにしばらくお客さんが絶えてしもうた、どうして、絶えてしもうた事が有難い、が不思議な事でしょう、満席の時も有難いなら、云うなら、空席の時もまた有難いでなからなければなりません、もう、兎に角一切をお礼を云わして貰う対象でないものはないのです、神様のご都合です。
昨日、私、12時過ぎてから、親教会へ云って、そして、3時に帰って来て研修、暫く皆さんと一緒にさせて貰うて、それからすぐ日田に参りましたがです、それから、昨日は沢山30何人集まっとられました。
もう本当に、最近の大分支部の方達の熱心と云うか、又、おかげを受けておる、もう実にシャ-プなおかげを頂いておる、もう本当にそう云うおかげ話を、皆発表されましたが、もう本当じゃあるかと云うごとある話、只、私自身もまた、お届けを聞いてないのですよ、けれども、そのおかげを頂いておられる話を聞かせて頂きましたが、もう此処ではあんなに詳しくは云われないから、判らないですけども。
昨日は、もう詳しくそのおかげを受けたその時の模様をね、例えば、事故を起こして、あれは何ですか、後遺症ですね、それは普通では後遺症と違ってガンガン頭が鳴ってどうにも出来なくて、奥さんに医者が、難しい様に云われて、それが、あれは酒井さんと云う方の兄さんです。
それが金光様の事云うても、もうそれこそ、へちくずしてから、全然相手にされなかったのが、酒井さん所に寄られたげな、その奥さんが目を泣き腫らしとんなさるげなもん、それが、その福岡に特別のお医者があると云うので、行くと云われるから、兎に角、この頃から、ご神米を分けて貰うて頂かんと云いよったけど、コッソリと頂きよんなさったそうです、ところが、ご神米を頂いとる間は、頭が痛まんそうですたい、だから、薄々金光様に心が向いとった訳です。
だから、金光様に参ろうと云うたって、あれどんが参りよる金光様に参ったてどうしてようなるか、俺は、医者に行くと云うて、酒井さんところの所へ寄らせて頂いたら、嫁さんが目を泣き腫らして頂いておられるけん、ああ今日は夫婦喧嘩して、出て来たばいのと思いよった、ところが、合楽の金光様にお参りして、とても医者やらで、……だからね、あなたが、もし死んで、もし万一の事があったら、家は皆くろつぶれ、だから、どうでも一つ金光様に参って呉れと、嫁さんが頼みなさったけれども、剣もホロロにと云うて、そのへんの事をいろいろ話しておられましたがねそれこそ、目を泣き腫らす様に、主人が頑固なのに、奥さんが泣きだされる位じゃったそうです。
それを、酒井さんが、また、方に寄られたら、んなら参ろうかと云う事になって、参った、そしたら、まあそうに、あっちこっち参られたらしいですが、そしたら、ハイハイそれはお願いしときましょうと先生が云うた、こげなこっておかげ頂くもんかと云うて、腹立てちから、帰りよったけど、帰り道から、頭がスッキリし出した。 そして、自分としては、どこに参ったっちゃ、何かでこうして、しゃくで叩いてやる、何かお経文を上げてから、肩を叩いてやるとか、何かその火の玉ば、後ろ前から、こうしてすると云った様なご祈祷たい、所謂ね、合楽に参ったら、叩いて呉れるとかと思うたら、叩いても呉れん、只、ハイハイお願いしときましよと云わっしゃるばかり、そげな事でおかげ頂くもんかと、云いよるうちに、痛む事が止まって、今日までおかげ頂いとる。
もうこれには、驚いてしまう、そして、未だ本人もお礼に来とらんそうですが、私どんが、ご本部参拝しとる時に、お礼に出て来たそうです。
私は聞いとらんけん、知らん訳です、まあそれ一事じゃない、試験の問題の事もある、それは、その方の従兄弟さんに当たる訳です、もう兎に角、私は、酒井さんと云う人が、合楽に参って、今度6辺も7辺も受けてから、出来んとなら、合楽に参ってからお願いせろと云っただけで、本まで持って行ってどこから出るか尋ねろなんて私は、云っとらん、と昨日云いよんなさいましたですがね。
本当に神様から、お知らせ頂いた通りにおかげ頂いて、その第1章からと、云われて、第1章を勉強しよったら、その第1章からばかり、問題が出た、90パ-セントは出来とると云うて、それが、未だ、3月にしか、免許が貰われんのだそうですけれども、その間に今度は、息子が、東京の飛行機の何か学校に行っとる、大変難しい、3辺4辺で通る学校じゃないそうです、ところが、丁度、こちらにお願いに来て、その息子の事はお願いもせんのに、合格通知が来たです、とても、合楽の金光様ちゃ、大した神様じゃと云うて、評判しとりますと、云うお話をね、聞かせて頂いたんですけども、そう云う例えばおかげを頂けば、誰だって有難いと云うてお礼が云えますよ。
けど、なら、願うても願うても、例えば、なら、熊谷さんじゃないけれども、大学に息子さんが、受験するのに、3年間も出来んじゃった、そして、後から考えて見て、成るほど、3年も掛かっておる間に信心が判った、そして、3年後でなからなければならない、卒業して下宿に行って、そして、就職した時に、本当に3年遅れとらなければ、こげな素晴らしい下宿はなかろうと入った時もおかげと思うたけども、就職をした時には、愈々、3年後でなからなければ、就職が出来なければ、もう兎に角出来なかった事が、はっきりおかげである事が、3年後でなからなければ判らなかったけれども、信心が段々判って来たら、云うなら、出来なかったその時点で、お礼の云えれる信心と、云うのです、それには、やはり、礼を云う心持ち、と云うものを、いつも持っとかにゃならん。
しかも、売れても売れんなでも、神様のご都合に、間違いのないのですから、お礼を申し上げる気持ちを、持たなければならない、それは、親先生が来て頂くから、店が、休業の札を出そうかと思うておるところへ、お客さんが退いてしまって、一人も、私が行っとる時には一人も居られなかった、その事が有難い、なぜ有難いか、親先生が来て頂くから、しかもただで飲ませんならんお客さんが、ゾロゾロと入って来る事その事が有難い、何故だろうか、それは、親先生のおかげでと思うておるから、有難いのです。
なら、私共が、日頃日々おかげ頂いておるでしょうが、だから、これは、親先生のおかげでも良ければ、神様のおかげも良い、神様のおかげと思うておるから、お客さんがさっと退いて、売れる時だけが、有難いのじゃない、売れない時も又、有難いと云う事になるでしょう。
本当に親先生のおかげと思うておるか、どうかと云うと、神様のおかげと思うておるかどうかと云う事です、今日はそこ辺のところを、一つ含味して頂きたいとこう思う。
そこに本当にお出で頂いて有難うございましたと、云うて、皆の者が表まで出て来てから、お礼を云う、そのお礼を云いよったら、もうそれこそ、後は次々と自動車が止まって、また、お客さんが一杯、一寸駐車場から立派に出来ておるところを見よる間に、店は一杯になってしもうとります、だから、本当にお礼からお礼、ず-っと切れ間がないほどの、お礼の心の、云う心持ちをです、私共は、持たなければ、いけないかと云う事が判るでしょう。
信心する者は、ですから、そう云う心掛けで信心さして貰う、如何に、愈々心行に徹しなければいけないかと、云う事も判りますですね。 どうぞ。